介護人間力の向上 研修報告
〈概要〉
本研修における定義によれば、「人間力」とは、人間性(こころ)と形(表情、態度、所作、言葉、行動)の和である。そして、これからの介護事業成功の秘訣は、働く職員の人間力を如何に高めるかにかかっている。
本研修はこの人間力向上のため、様々なプログラムを用いながら参加者のこころと形の改善を図るものであった。
研修一日目は、人間力のうち「形」を主に取り扱かった。
「形」とは、他人が見ることのできるものであり、かつ、それをもって他人が「こころ」を推測するものであって、それ故、人間関係においては非常に重要な要素とみなされる。
例え立派な「こころ」を持っているとしてもそれが形として表現されないならば、
その「こころ」は伝わり難い。
それどころか、不十分・不適切な形の表現は、それを見る人に、そこにある「こころ」とは真逆の印象を与える可能性もある。
それ故、適切な形を習得することは他人に自身の「心」を伝え、誤った印象を与えないために必要である。
本研修において「形」の代表として挙げられたものは
「挨拶」と
「笑顔」
であり、それらの適切な仕方が示された。
研修二日目は「こころ」を主に取り扱った。介護現場における人間関係において必要とされる4つのこころの要素、すなわち
①
報恩感謝の心
②
自喜喜他の心
③
自己反省の心
④
プラスの氣
が定義、説明され、その重要性が語られた。
〈内容〉
研修一日目の内容は、先述のとおり、人間力の「形」、すなわち(表情、態度、所作、言葉、行動)について、その適切な表現を目標とした講義とグループワークである。
最初に、介護現場に限らず、「働く」ことの意味・意義が語られた。講師によれば、「働く」とは「傍‐楽」ことであり、他人を楽にさせることである。
およそ働くことは他人の負担を和らげて楽をさせること、そうすることで「世の中に役立っている、人の喜びに貢献している」ことである。
このことに働く人が気づくことによって、労働観が変わり、「人生が変わってくる」。
この「労働観」の変化によって日々の仕事に対する態度が変わる。
例えば、自身の仕事に誇りをもつ人と、引け目を感じる人とでは、自ずと業務に対する向き合い方に違いが生じ、それに伴い仕事の完成度にも差が出ることは明白である。
質の高い介護を行い、利用者にも満足していただく仕事を行うためには介護者の適切な「労働観」の保持が必要である。
以下、講師による「労働観」についての講義の要約である。
例えば、「天職」という言葉がある。
自分に本当に合った仕事、やっていて楽しい仕事、それを人は天職と呼び、それに就きたいと願う。
そうした人が現に就いている仕事に対し、「これは私の天職ではない。もっと自分に合った仕事があるはずだ」と考えているのならば、その人は日々の業務に本気で打ち込むことができず、質の高い結果を残すことはできないだろう。
しかし、「天職」とは「見つけるものではなく、自分で決めるもの」である。
人に合った仕事が絶対的・客観的に存在するのではなく、そこにある仕事を人が自分に合っていると見なすこと、それのみがある。
この意味で、天職とは相対的・主観的なものである。
従って、
「どこかに自分に合った仕事があるはずだ」
とは誤りであり、さらにそうした考えのもとに現に就いている仕事に対して疎かになることは愚かであり、
「今、就いているこの仕事こそが自分の天職である(と私は決めた)」
と考えることが、事柄に即しても、また現状に対しても適切である。
天職についての上記の見解と関連して、「世の中には幸せなことも不幸せなことも〔絶対的・客観的には〕一切存在しない。ただ、そう思う心だけが存在する」との見解がある。
世の中には事実のみがあり、価値とはそれを観ずる者によって付与される。従って、同じ事態に対して矛盾した価値が付与されうる。
講師によれば、すべての仕事には(他人を楽にするという)意味・意義がある。
ただ、そのことに価値を置くか否かが人それぞれである。
自身の仕事に価値を見いだせず日々の仕事がおろそかになる人もいれば、今自身が就いている仕事に価値を見出し、一生懸命仕事をしている人もいる。
質の高い仕事をするためにはそのどちらが適切かはおのずと明らかである。
常に「感謝」の観点から事実を観じ、価値を付与する介護者は適切かつ質の高い介護を提供できる。
仕事の意味・意義が語られた後、研修後半は、人間力の要素である「形」の具体的表れである「挨拶」と「笑顔」の重要さと、その実践のためのグループワークが行われた。
挨拶と笑顔、あるいは笑顔でのあいさつは人間関係における重要な実践であり、それは「人の心と心を繋ぐ」ものである。
抜粋すると、挨拶は
①
相手の存在を認め、相手を重んずる心の現われ、
②
人の心と心を結ぶ金の鎖、
③
人に対する気づきを養う、
④
職場で取り交わされるやる気の合図、であり
⑤
「挨拶は自分を創り、子どもの未来を創る」ものである。
これほどの意義と力を持った挨拶ならば、それは適切に実践される必要がある。
笑顔も対人関係において重要な実践である。
ここでいう「笑顔」とは「笑い」とは異なり、コミュニケーションのための自己表現である。
笑顔は円滑なコミュニケーションの遂行のために意識的・意図的に為される手段・道具であり、可笑しい、楽しい等の感情の表現である笑いとは異なる。
従って一人では「笑う」ことは出来ても「笑顔になる」ことは不可能である。
この区別を混同すると、適切な笑顔を「つくる」ことは難しい。
研修では、適切な笑顔をつくるために、人が好印象を覚える笑顔の構造(アイコンタクトの有無、口角の角度、目尻の角度など)が紹介され、その実践のためのグループワークが行われた。
研修二日目は、人間力の「こころ」(の改善)について語られた。
介護現場において重要な「こころ」とは
1・報恩感謝の心
2.自喜喜他の心
3.自己反省の心
4.プラスの氣
である。以下、順に要点を述べる。
1.報恩感謝の心とは、要するに「ありがとう」の心である。
この「ありがとう」を積極的に発すれば、自分自身の心に「感謝の種」が植えられ、その種がいっぱいになると「何があっても有難いと感じる」ことができるようになる。
こうした「ありがとう」の原点は、自身に見返りのない無償の愛を注いでくれた親に対してのものであり、親への感謝が不十分な人間は他の誰に対しても十分に感謝することができない。
高齢者介護の現場で働く人はそうした親への感謝を現場での利用者への対応において活かせばよい。
そうして、親、利用者にとどまらず、「大自然の恵み」「自分の存在」「会社の経営トップ」、そして「すべてのもの」に感謝することにまで至ることが望ましい。
2.自喜喜他の心とは、「人間の喜びは、他を喜ばす中にあり」という生き方、を意味する。
言い換えれば、他人の喜びが自分の喜びであり、積極的に他人を喜ばそうとする心構えを意味する。他人を喜ばせると、その喜びは数倍になって自分に返ってくる。
一般に、人は自分の喜びのみを求め、他人から喜びを与えられることを望んでいる。
しかし、こうした受動的態度では求めるものは得難く、むしろ、一旦自分の喜びを度外視し、他人に喜びを与えることを自発的に行うことによってこそ、かえって自分の喜び(それは単に与えられる喜びとは質が異なるものであるだろう)が増幅する。
こうした「事実」に気づき、積極的に他人の喜びのために生きることが、自喜喜他の心をもつ生き方である。
そして、仕事とは「他人を喜ばせ、感動させることを通じて人生を輝かせる舞台」である。
「だからこそ、自喜喜他の生き方をしよう!」。
3.自己反省の心とは、事柄の原因を他に求めるのではなく、自己自身のうちに原因があったのではないかと考察することである。
例えば、他人とのもめごとが起こった時、多くの人は相手が悪いと考える。
しかし、そうした考えを転じて、揉めた原因を自己自身に探ること、が自己反省の心である。この自己反省の心は他人との問題の本質を一転させる可能性をもつ。
何故なら、他人との問題の多くは互いに「相手が悪い」と考えていることにその本質があるからである。
そこで、「自分が(も)悪い」という要素を自己反省によって持ち込むことは問題の在り方を一変させ、問題解決への有効な契機となりうる。
揉め事において「自分が(も)悪い」と自己反省し、それを表明することは、相手にもそうした自己反省を間接的に促し、共に「自分が(も)悪かった」と思い、そうすることで問題(争い)解消することが多い。
確かに揉め事の原因は解決されていなくても、そこにあった争いの心が消滅しているために、当事者は冷静に事態を処理することができるようになる。
確かに、すべての揉め事がこうした自己反省によって、争いの解消→問題の解決に至ることはない、しかし、たいていの人間同士の争いは「相手が悪い=自分は悪くない」という利己心・自己中心主義が原因であり、それはこうした自己反省という契機によって解決するだろう。
従って、日々の出会う事柄において、他に責任転嫁するような考え方を変え、自己反省し、自己自身に原因があると考えるようにすることが望ましい。
「自分が変われば相手が変わる。自己反省が自分を育てる」のである。
4.プラスの氣とは、人を引き付ける人が皆持っているポジティブな雰囲気のことである。
講師によれば、人はプラスの氣かマイナスの氣をまとっている。プラスの氣をまとっている人には人も、お金も、運も、情報も集まってくる。
仕事においては、客が集まる、利用者が集まる。マイナスの氣をまとう人はその逆である。道徳心、利他的な心をもち、夢・志を抱く筋の通った人間はプラスの氣をまとい、他人を引き付ける。
「そして、事を成す人は、自分だけがプラスの氣を持つのではなく、プラスの氣を周りにふりまける人間にならなければなりません。さあ、自らの体の中心から«プラスの氣»の波を広げましょう!」。
さらに、プラスの氣をまとった人は良いと思ったことは積極的に、自発的に、率先して行う。
そうした人には「恥ずかしい」「かっこ悪い」「なんで今更」という躊躇いはなく、自ら進んで行動を起こし、結果的に周囲を感化させ、変えてしまうのである。
良い環境を作るためにも、プラスの氣をまとうことは必要である。
では、プラスの氣をまとうために必要なことは何か。それは、プラスの氣の原点である、人間力の「形」を実践することである。
すなわち、
明るい元気な挨拶、
丁寧なお辞儀、
笑顔でアイコンタクト、
「ありがとう」を口癖にする、
等の「形」を確実に行うことが、プラスの氣を身に着けるための一歩となる。
〈感想〉
本研修において、私は自分自身の立場の自覚と、2,3の具体的に有効な考え方を学ぶことができた。
自分自身の立場の自覚、とは、研修の冒頭にて「仕事」の定義がなされたときに主に感じ、その後も感得したことである。
講師は「働く」とは「傍‐楽」であり、他人に楽をさせること、と定義し、その後も、仕事(というより人間関係)において、自己中心的に考えるのではなく、他人を中心にして自分の行動を考えることの重要性を説いていた。
「挨拶」や(笑いとは異なる)「笑顔」の強調、人間力の「こころ」である報恩感謝、自喜喜他などはその典型であるし、同じく人間力の「こころ」である「自己反省」も(一見自己中心的に見えながら)、「問題の原因を他人ではなく、自分にあると考えること」であり、結局のところ、非自己中心的といういみで、利他的な「こころ」である。
つまり、研修全般を通じて語られていたことは、「自己中心的な考え方を抑え、利他的な考え方をするべきである」という一事であり、畢竟のところ、人間力とは、そうした利他的な考えの実践力に他ならない。
そうした徹頭徹尾「利他的」な発想を持ちあげ、自己中心的な発想を批判する研修の中で、私は自身がいかに「自己中心的」であるかを痛感した。
私にとって「働く」とはあくまで自分のため(お金のためではなく)に行うものである。
他人に尽くすということが職業柄あるとしても、それは自分のために行うことである(ここでいう「自分のため」とは本研修で触れられていた自喜喜他の心ではない。
私は他人を喜ばすことが自分の喜びである「から」仕事をするのではない。確かに他人の喜びは私自身の喜びにつながることが多いが、それがそのまま私の仕事への動機になっているのではない)。
私の言う「自分のため」は、「自己中心的」な考え、言い換えれば自己本位である考えではないと理解しているが、本研修に従えば、私は自己中心的な人間とみなされるであろう。
更に、研修一日目の「挨拶」「笑顔」のグループワークでは、私は「恥ずかしくて」どうもきちんと挨拶と笑顔を実践することができなかった。
特に手鏡を見ながら「笑顔」を作る作業をしたときに判明したことがある。
それは、私は笑顔を作ることが不得意である、ということである。口角を上げようとすると、口の端がぴくぴくとひきつってしまい、上手く笑顔を作ることができない。
ここからも、私という人間のコミュニケーション能力の拙さが自覚された。
研修二日目は「こころ」の部分の講義であった。
その内容から、私には困難な時間が長かった。
確かにそこで語られていることは真っ当なことであり、その内容の正しさは認めるのだが、どうしても「お説教」に聞こえてしまうのである。
「人から愛されたければ/愛されるのを期待する側ではなく/愛を与える側にならなければ/本当の意味で欲しているものを手に入れることはできない」とか、
「どんな親であっても親には孝行です。親に感謝できなくても親は大切にしなければなりません。それが、自らの人生の幸せの原点なのです」とか
「他人を問題にするのではなく常に自分自身を問題にしましょう。自分自身が«花»のような存在になっているのかを問題にしましょう。そうすれば、追いかけなくても«蝶»が必ず集まってくるのです」等々
の立派な言葉を聞いていると、研修に参加しているというより、
えらい坊さんの話を聞いているような気になってきてしまった。
しかし、そうした中で、有効な考え方であると思われるものがいくつかあった。
以下、それを述べる。
本研修で推奨されたこと、すなわち人間力向上のための「形」(挨拶、笑顔)と「こころ」(報恩感謝の心、自喜喜他の心、自己反省の心、プラスの氣)の実践は、当然のことながら、容易ではない。
「形」はもちろんであるが、「こころ」を変えることの難しさは容易にうかがい知れるだろう。
もちろん、講師も「こころ」が容易に変わるとは言っておらず、まずは「形」から変えることが妥当であり、そして、形を変えることで「こころ」も変わっていく、と述べられた。
この「形を変えることで「こころ」(中身)も変わる」という考え方は現実に即した有効なものであると思う。
しかし、そうであるとしても、形を変えることも容易ではない。
私が手鏡を見てうまく笑顔を作ることができないことを自覚したように、意識的・意図的に笑顔を作るには訓練が必要であり、そして実践するには「勇気」(というと大げさであるが)も必要である。
挨拶をしても挨拶が返ってこない可能性が大きい時、あえて自分から挨拶をするためには技術うんぬんよりもやはり「勇気」と称すべき心構えが必要である(こう考えると、「形」の実践のためには「こころ」の変化が既に必要なのではないかと考えられる)。
本研修では、こうした「形・こころの実践・変化のためのステップ、あるいは有効なやり方」に触れられることが少なかった。そうであるから、この「形」の実践のために必要なステップ・有効なやり方は自分で考えなければならない課題として残った。
現時点で私が考えている、「形」の実践のための手段とは、「やりやすい人から始めて、徐々に段階を上げていく」というものである。
挨拶をしやすい対象、すなわち他職員、自身と比較的コミュニケーションがとれている利用者等に、本研修で学んだ「挨拶」「笑顔」を実践する。
そして、そこで得た「成功の経験」を元手にして、今度は難しい対象、すなわち自身とコミュニケーションが比較的取れていない利用者等に「挨拶」「笑顔」を実践する、というやり方である。
先日、ある人が「自己主張をしない人が自己主張をするようになるために必要なことは、自己主張をしてそれが成功するといった「経験」である」と発言した。
私はその「経験」を重視した考え方が、ここでの「形」の実践にも有効ではないかと考える。やりやすい相手との「成功経験」を築き、そこからの「自信」を基に、ワンステップずつ階段を上るように向上を図ること、これが有効ではないかと考えている。
本研修にて学んだ有効な考え方に、
「他人の悪いところを見るのではなく、良いところを見る」がある。
これは言葉にしてしまうと何とも当たり前のことに見えるが、実際には人は他人の悪い面、劣った面ばかりをあげつらい、批判することが常である。
そして、他人も同じことをするのであるから、結局、人間の集まるところ、互いに悪い点・劣った点を陰口や悪口という形で取り交わすネガティブなサークルができることになる。
ネガティブなサークルに身を置くことは心身に良くないことなので、最終的に人はそこから離脱するか、あるいは身体か心のどこかが壊れてしまう。
そうした中で生き延びるためには他人を批判しない代わりに関わることもしない無関心な人間になるか、悪口を言われても欠陥をあげつらわれても気にしない無神経な人間になるしかない。
そうした無関心・無神経な一部の人間と他人のあら捜しに躍起になっている多数の人間によってネガティブなサークルは形成されている。
こうした、往々に見られる「人間関係」の改善のためには、
「他人の良いところを見る」ことが必要である。
これは「悪いところを見ない」のではなく、
「悪いところと表裏一体である良いところを見る」である。
これも言葉にすると当たり前のように見えるが、やはり普段我々(私)が怠りがちなことであり、実践すべきことである。
研修では、この「良いところを見る」をグループワークにて行った。
それは、同じグループに属するメンバーの「良いところ」を書いて回す、というものである。グループメンバーが他のメンバーの良いところを書き、ワーク終了時には、他のグループメンバー(5人)からの「褒め言葉」が自分に返ってくる。
確かに、ほとんど初対面の人なのだから、「良いところ」を見つけることは難しい。
従って、他のメンバーの言う「自分の良いところ」はかなりの確率で的外れである(私は「頼りがいがありそう」「リーダーシップがありそう」「笑顔が素敵」と、まさに的外れなものであった)。
しかし、それでも、やはり褒められるとうれしいものであるし、それを通して他のメンバーに気を許せるように感じられるから不思議(あるいは単純)なものである。
私は、この経験は、ぜひ職員間、あるいは利用者間でもしたほうがよいと感じた。
ほぼ初対面の人に褒められてもうれしく、かつ打ち解けることができるのであるから、日頃から顔を合わせている人同士での効果は絶大だと思う。
如何にして実践するかはわからないが、こうした「お互いに相手の良い点を見て、それを形にして伝えあう」という作業は、上記のネガティブなサークルを予防・打破するために実に有効な手段だと考える。
以上が、私の本研修の感想である。つまり、
①
自己自身を知ることができた
②
形の重要性に気づき、その実践の為の契機となった
③
お互いに良い点を見ることの効果を実感した
が本研修の私にとっての意義である。
以上